うつな人ほど強くなれる?

「うつな人ほど強くなれる」人生の中で一番つらい時期に読んだ本のタイトル。

他の人よりもつらさを経験してる分、人に対して優しくなれるとかそんなことが書いてあったような気がする。内容はあんまり覚えていないけど、タイトルはずっと頭に残っている。

自分の人生で一番つらかった時期は、大学1年生の時。別に上京しようなんてこれっぽっちも思っていなかったのに、東京なんてディズニーランドしか行ったことなかったのに、受かった大学の中で一番偏差値が高いのは東京の大学だった。

それで特段の野心もないまま、山育ちの田舎者が見知らぬ東京にほっぽり出され、友達もうまく作れず、高校から付き合っていた彼女に依存してたら振られ、そんな状態で、隣の騒音がうるさい独房みたいなアパートで一人誕生日を迎えたら、孤独から涙が止まらなくて、1か月ぐらい店員さんくらいとしか喋らず、自分なんて誰も必要としていないなんて思いこんで、時折彼女の名前を呟きながらただ泣いて過ごした情けない日々がある。

ちゃんとお医者さんに診てもらったわけではないけど、たぶんそこそこの鬱という奴だったと思う。そんな鬱な日々も乗り越えたとかカッコいいことはなくて、大学の講義を隅っこで一人受講し終われば即家に帰り引きこもっていたので、ブックオクで100円の本をたくさん買い込んでは三浦綾子の本で心が洗われ、同郷から上京した友達とご飯をして少しだけ心が楽になって、だんだん涙の量も少なくなり日々が過ぎていった。

若干の対人恐怖症と、オープン陽気な人たちに対する苦手意識を残したまま、社会の荒波という奴にもまれて、現在に至る。今となって思えば、別に知り合いが増えないのなんて些末な問題だし、見知らぬ土地に来てどこにも顔を出さなければ誰も相手をしてくれないのは当然だろう。

 

客観的に、その時よりもつらい経験もあって、新社会人になって、隣に座る先輩指導係とうまが合わず、あいつはダメだと周りに吹聴され、調整役の業務でいろんな人とかかわる仕事なのに、部内の人みんなが自分に対してあきれ冷たい視線を向けていた日々の方がつらい状況だったと思う。

けど、この時は、会社へ行く足は止まりそうになったけど、うつ状態にならなかった。たぶん、大学時代みたいに、わけもなく泣いて1か月過ごした日々が来なければ、自分は大丈夫という心のボーダーラインみたいなものが支えになっていたと思う。とりあえずは出勤を続け、当時は純粋だったので不平不満を言わず(言えず)、精いっぱいさをアピールして、好きでもない飲み会をたくさん企画して、徐々に会社という一族と中に溶け込んでいった。(ちなみにその先輩とは10年弱経った現在も未だに付き合いがある)

 

冗長になったけど、今、つらい死にたいとか思っていても、別に乗り越えなくてもいいけど、どんな形でもやり過ごせば、心はもっとつらさに鈍感になれるんじゃないかということ。よく言えば強くなれるっていうことだと思う。以上、自分のつまらない経験から学んだこと。

 

なんでこんなことを書いたかというと、今は割とつらくて先も見えないけど、やり過ごせば、また穏やかな日々を手に入れるかもという希望を捨ててはいないということ。それから、今も職場の同じチームの人のメンタルがやられ気味で、たまにしか出勤できてないけど、別に残業をしてその人の分の仕事をやることも嫌ではないし、悪口も言わない。飲み会とかでメンタルやられた人のことを笑い話にして話すようにはなりたくない。根本的に人のつらさを癒せるようなこともできないけど、つらい人のつらい日々が徐々にでも和らぐように願っている。